総務大臣届出済全国政治団体 三宅藤原氏族会

三宅藤原氏族会(みやけふじわらしぞくかい)の政治活動42年
[画像は恩師中島源太郎と文部省にて] English Version
                                    <三宅藤原氏族会 事務局> 総務大臣届出の全国政治団体3142で、内群馬県が22です。
政治家としては、当時田中角栄と中島源太郎だけだった血液型Btypeの中島源太郎に自分を売り込む方法は、政治団体を立ち上げて、支援する事しかないと思った!!。中島源太郎は、政治に私欲は無かったと認識する。私の遠祖児島高徳公の600年祭も中島源太郎が動いたから出来たと言えます。
   現在、政界は、卑しい者が大多数だが、中島源太郎は違った。 若し、読みが「なかま」だったら、卑しい者の部類だった。
* このhomepageは、本会会長の自己紹介のpageと共に、御覧に成って戴ければ、幸甚です。
 ◎ 左の写真は、平成21年10月1日、本会の政治団体の名称を変更した届出書です。
 ◎ 右の写真は、昭和63年5月9日発行中島源太郎グラフ文部大臣特別号(定価860円)の表紙二枚を重ねた画像です。
 ◎ 左の写真は、中島源太郎の父知久平生誕地の「横町の信号」です。
   (中島知久平は、明治19年(1884)1月1日農業粂吉・いつの長男として生誕。
   本会から、100m程です。昔碑が立っていたと聞きましたが、今は有りません)
 ◎ 右の写真は、中島源太郎の生誕地の「押切の中島邸」です。
   (太田市の清水聖義市長は、中島源太郎後援会青年部長で有ったのにも拘らず、記念の施設にする事が出来ません。
   そして、三代続いた政治家の邸宅は、未だ井戸と塀は残っているが、すっかり寂れてしまいました。
   全て、自分を犠牲にする事が、此れが、正規の政治家の末路なのです。
   後継洋次郎は、自分を犠牲に出来ず、三宅会長と松田二名で対策に議員会館に行った物の会えず、
  翌々日の01年1月6日洋次郎は、自身から身を絶ったのです)
 ◎ 左の写真は、昭和45年12月18日発行の地元地域紙「時事新聞」です。
 ◎ 中の写真は、平成元年5月25日発行の中島源太郎後援会機関紙躍進」です。
   (「中島構想図」として、三宅会長が始めに陳情した<北関東自動車道>が描かれ、新上武大橋の完成も掲載されています)
 ◎ 右の写真は、すっかり年季が入ってしまった中島源太郎青年連絡協議会の腕章。
 ◎ 左の写真は、上記画像左の「時事新聞」の中島源太郎の記事部分拡大画像です。
 ◎ 中左の画像は、大泉中島源太郎後援会青年部発起人に三宅会長が最年少で選ばれ、
   昭和48年4月1日付で、発行された「大泉中島源太郎後援会青年部名簿」です。
    発足以来から洋次郎死亡迄、一貫して青年部役員として、活動したのは私以外に居ませんでした)
 ◎ 中右の画像は、三宅会長の父上の名刺で、中島飛行機の労組の役員だった関係で、
    中島源太郎が支援要請に参上した訳です。
    (中島飛行機は、50万人の大所帯で、三宅会長の両親は中島飛行機で出会い、結ばれ、
    三宅会長が誕生しました。そんな縁が有って支援したのです)
 ◎ 右の画像は、92年洋次郎が初出馬した時、有力支援者のみに贈られた<洋次郎人形>。
 ◎ 左の写真は、昭和44年元旦、茨城の村松山虚空蔵堂に初詣した時の画像です。
   (海無し県の群馬に生まれ育った三宅会長は、大洗・村松にバイクで行くのが年明けの慣例で、
  中島源太郎初出馬前の約束は、海を見に行ける今の「北関東自動車道」を建設する事でした)
 ◎ 右の写真は、平成22年3月10日、念願叶い「北関東自動車道」を走り、
  仝村村松山虚空蔵堂に参拝した画像です。(左の画像から4年の歳月が流れ、バイクから車に、
  そして、虚空蔵堂の様相は変わりましたが、同じ場所で写しました。此れから、頻繁に行く事が出来ます)
 ◎ 左の写真は、昭和62年11月6日、待望の文部大臣で入閣。閣議の席でも重要閣僚として、
   「北関東自動車道」の必要性を強くアピール。
   竹下登総理が降参し、総理が主宰する「国土開発幹線自動車道建設審議会」で決定し、
   総理自ら、「中島、高速道路ちゃんと決めたからね!」と電話連絡したとのエピソードが残っています。
   そして、平成2年施工命令が出て、北関東自動車道の建設が始まりました。
 ◎ 右の写真は、昭和63年1月24日付、文部大臣拝命の挨拶文です。
   文部大臣に就任された翌年9月17日のソウルオリンピック開会式に、竹下総理の代理として、
   盧泰愚大統領に招かれた際、私が簡単な韓国語の挨拶言葉を御教示し、其れを実 行した為、大統領に大変喜ばれたと話されました。
   (当時の官房長官は、平成年号を発表した後の小渕恵三総理総理。党幹事長は、総理安倍晋三代議士の父親晋太郎でした)
 ◎ 左の写真は、平成22年3月10日、帰りの「北関東自動車道」友部IC手前。
 ◎ 右の写真は、平成22年3月10日、仝笠間IC手前。(交通量少なく、非情に快適でした)
 ◎ 左の写真は、昭和59年11月17日、開催された日本氏族会連絡協議会の設立総会案内状。
   (当時、三宅会長が児島高徳公同族会理事長として、栃木県小山市を本貫とする小山氏の小山会からの強い要請を受け、
  常任理事に就任した物の、意を異なる部分有り、欠席)
   氏族会・同族会は、韓国の宗親会・花樹会の如く有るべきと、三宅藤原氏族会と名付けました。
 ◎ 右の写真は、昭和61年10月4日、自民党副幹事長に就任した祝いの宴。(右から、三宅会長・中島源太郎・矢島・稲川・江原)
 ◎ 左の写真は、中島源太郎が、地元滞在の際、棲む邸宅隣の家。
   (此処で、毎年三が日に新年を祝った後、遊説に出掛ける事が慣例で、三宅会長が十数年伴走等行ないました)
 ◎ 右の写真は、中島源太郎が、文部大臣に就任した祝いの額。(三宅会長の家の玄関内側に掲げて有ります)
 ◎ 上左の写真は、平成4年2月16日、太田市で、催された中島源太郎葬儀の案内状。
 ◎ 仝右の写真は、仝日、三宅会長が要人車両誘導担当として、穴原秘書と連携し、無事来賓等要人の到着完了し、会場内に戻った時の疲れた様子です。

【本会関連年表】
    昭和48年3月1日 大泉中島源太郎後援会青年部発起人に最年少で選ばれる。
    昭和48年4月1日 大泉中島源太郎後援会青年部幹事就任
    昭和51年4月2日 中島源太郎後援の為、
                群馬県選挙管理委員会に「はーとふる倶楽部」届出、会長就任
                (現在も、政治活動の一環で、お見合い韓国」として、出会いを提供しています)
    昭和62年9月20日 本政治団体の名称を「はーとふる倶楽部」から、 「ハートフル倶楽部」に変更届出。
             昭和63年2月29日 (財)上毛新聞厚生福祉事業団より感謝状授与。
             昭和63年3月16日 仝事業団より感謝状授与。
             昭和63年5月06日  読売愛のあかぎ基金実行委員会より感謝状授与。
             昭和63年5月23日 (財)上毛新聞厚生福祉事業団より感謝状授与。
             昭和63年6月28日 読売愛のあかぎ基金実行委員会より感謝状授与。
             昭和63年7月29日 (財)上毛新聞厚生福祉事業団より感謝状授与。
    平成元年6月10日 東邦病院他経営の駒井実参議院議員群馬地方区立候補の際、
                太田広域地区事務所に於いて、選挙参謀として、就任
    平成3年6月24日  本政治団体の名称を「ハートフル倶楽部」から、「児島高徳公直系同族会」に変更届出。
    平成10年7月10日 本政治団体の名称を「児島高徳公直系同族会」から、「東亜友誼慈業研究会」に変更届出。
    平成21年10月1日 本政治団体の名称を「東亜友誼慈業研究会」から、「三宅藤原氏族会」に変更届出。
 大泉町長の長谷川洋 等と平成17年2月20日。
 韓国との姉妹都市提携を陳情したが、関心が無い様子だった。[リンク]

    * 日韓親善協会中央会の田中龍夫会長」の勧めに依り、
     社会福祉法人こころの家族」支援の為、
     映画愛の黙示録」を上映し、益金50万円を寄付しました。
      田中龍夫と中島源太郎は同じ清和会(福田派)で、共に多磨霊園に眠る。合掌。

【其の他選挙支援等】
    衆議院議員   尾身幸次・茂木敏充・小渕恵三・三塚博・福田康夫・中島政希
    参議院議員   福田宏一・上野公成・中曽根弘文(幾度陳情しても、駄目)
    群馬県知事   小寺弘之
    大泉町長     真下正一・長谷川ひろし(同級生)・斉藤直身
    中之条町長   小渕光平
    群馬県議会議員 平田清久・中島勝敬・菅野義章・久保田順一郎
    大泉町議会議員 吉川安男・松島広之・柿沼伊一・古沢利治・黒沼光生
                久保田一郎・村山博茂(同級生)・川島洋・川島清八・渡辺政和・
                高尾芳雄・金井茂夫(同級生)・小川たかこ・河田としかつ
    太田市議会議員 もてぎ義市・沢口輝夫               邑楽町議会議員 横山英雄
    佐野市議会議員 太田武夫                       富里市議会議員 君塚一男(父方の従兄)
    諫早市議会議員 大我喜代志(前本会常務理事)  
    衆議院議員    徳田虎雄・参議院議員 石井一二 
 ◎ 上は、徳田虎雄自由連合から送られた挨拶状と徳田虎雄の其の後の家族等のスナップ。面談を求めているが、・・・
 ◎ 上は、平成21年4月12日、斉藤直身選挙事務所を訪問、えびら贈呈(当選)と平成21年8月29日、島村宣伸の選挙事務所を訪問、えびら贈呈(落選)。
 ◎ 上左の写真は、平成22年2月22日、民主党大畠章宏地元事務所を訪問し、渡辺忠臣事務総長と面談後、大畠章宏代議士と会談。
 ◎ 仝右の写真は、仝事務所前の「作曲家吉田正の生誕の地記念碑」。(事務総長にシャッターを切って貰いました)
    平成22年9月17日、菅「有限実行」改造内閣に於いて、経済産業大臣に就任し、<経済産業大臣御就任おめでとう御座います。>
    平成23年1月14日、仝、二次改造内閣に於いて、 国土交通大臣に横滑りしました。 <国土交通大臣御就任おめでとう御座います。>
 ☆ 日韓議員連盟は、額賀福志郎会長(2013年1月29日)選出の後、大畠章宏は副幹事長に就任した。
    其の後、民主党の幹事長に就任御目出当御座居ます。
  ◎ 下左の写真は、平成21年8月22日、三宅雪子選挙事務所を訪問し、手書きのえびら贈呈(当選)。(中島政希民主党群馬県会長代行が対応)
  ◎ 仝中の写真は、平成21年10月1日、高崎市内のホテルで行なわれた、
  民主党三宅雪子代議士初めての国政報告会の模様。(三宅会長と茂木・鶴田・落合・神田の五名で参加)
 * 現在、生活の党所属で、落選中。連絡先は、此方へどうぞ!。◎ 仝右の写真は、駒井実参院選対時名刺 平成元年6月。
   平成24年5月17日、温故知新の会堀越富士夫の招きで、 仝25日みんなの党渡辺喜美代表の憲政記念館特別講演会に招かれ、一名同行し、参加。
   この憲政記念館で、会場準備していたのが、元キャスターの真山勇一で、気軽に記念写真に応じて戴き、感激した。(下の画像)
   真山勇一の様なオールマイティなタレント議員ならば納得するが、運動オンリーの議員は御免だ。
   この時、真山は落選中で有ったが、12月13日欠員が出た為、繰り上げ当選し、現在参議院議員の職に有る。

 ◎ 上左の写真は平成24年4月21日、投開票支援の大泉町長選・町議選候補者への<絵ビラ>「金井しげお」賛江宛。

    町長選 大塚まさひさ  <我が遠祖児島高徳公六百年祭に父親大塚次郎から寄付受領>
    町議選 金井しげお   <同級生・小泉十六氏後裔>         須田としひこ  <親父同士が親友>
          田辺のぶお   <小泉十六氏関連>               河内初光    <小泉十六氏後裔>
          みやなが万里子<父親宮永忠左衛門に、私が駒井実参院選で世話に成ったお返し>
 ◆ 大塚は残念ながら落選、議会議員は全員当選しました。
 ◎ 仝右の写真は、平成28年7月31日、投開票支援の東京都知事選小池百合子候補への<絵ビラ>。
 ◎ 右端の写真は、平成28年3月18日、大熊町役場幾橋功企画調整課長を再訪した際の仝町木幡ますみ議員。
小泉十六氏    三宅氏の私   太平記の里
       公開 2010年08月26日(天一天上・天赦日)  更新2017年10月16日 <敬称略>
       総務大臣届出済全国政治団体 三宅藤原氏族会 会長 三宅英雄
         群馬県邑楽郡大泉町中央2−10−19  TEL&FAX 0276−61−0560 東亜友誼慈業研究会
                    三宅一族・藤原一族を名乗る方の入会を募ります。
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